不登校は大海原に出るようなもの

子どもが、学校に行きにくい…
無理に学校に連れていくのもどうかと思うけど、休ませても、これからどうして行ったらいいの?
と不安になると思います。

その不安から、子どもを必要以上に責めてしまったり、必要以上に管理してしまったりしてしまうことありませんか?

でも、未来なんてわからないもの…
お母さんができることは、お母さんが少しでも心地よいと思うことを、していくことだと思います。

学校はレールを走る電車

私立学校の内部進学を、「エスカレーター式」と例えられることを聞いたことがあると思います。
その例えで言うのであれば、学校は電車のようなものです。電車は、各駅までレールで繋がっており、その電車に乗っていると、ある程度の目的地まで、連れて行ってくれます。

電車には、乗り換え表記や、案内があるように、道に迷ったとしても、駅員さんに聞いたり、案内表記にそえば、目的地までたどり着くことができます。学校でも、進路相談があったり、行きたい学校があれば、どうしたら行けるのか、相談に乗ってくれる先生がいます。

ですので、学生の間に路頭に迷うと言う体験は、少ないと言えるでしょう。

不登校は、レールも道もない大海原

しかし、不登校はどうでしょうか?学校からの課題もなく、こなす授業もない。身近にあるのは、インターネットの中の膨大な情報くらいなもの。そこには、一見、自由で、たくさんの選択肢があるように見えます。しかし、誰に何を聞けばいいのか、これからどうしたらいいのか・・・全て、自分で考えて、探していかなければなりません。

中には、孤独に感じたり、不安に感じることもあるでしょう。ひきこもりになってしまったり、不安な感情が怒りにかわり、家庭内暴力に発展することもあるかもしれません。学校という指針がなくなり、本当に、何が起こるか、わからないと感じることでしょう。

それは、まるで、大海原に船を出して自力で漕いで行くようなものなのです。

海は、とても危険です。準備をしていないと、波にさらわれたり、嵐にあったりします。

だからこそ、親である私たちは、この大海原を自力で航海する子どものために、何が必要なのかを一緒に考え、一緒に準備をする必要があるのです。

例えば、方向を示すコンパスだったり、濃くオールだったり、船だったり…でも、もしかしたら、子どもが船を選ばないかもしれません。ヨットを選ぶかもしれないし、遊泳を選ぶかもしれないのです。

本当に、選択肢はたくさんあるのです。
その、選択肢をどれくらいOKにして、情報を得ることができるか…
そして、何より、子どもが「心地いい」と思える方法を選ぶと言うことが、とても大切なんです。

親の思ったものを、選ばないかもしれません。
目的地に到底つかなさそうなモノを選んでくるかもしれません。
その時に、助言してあげるのもよし。しばらく、見守ってあげるのもよし。
泳ぎ始めて、これじゃ、たどり着かないかもって、子どもが気付くかもしれません。

ただ、必要なのは、子どもが自分の心地いいを知ること。
子どもが自分の目的地を知ることが、大切なのです。
学校に行ってる子どもたちは、この感覚が弱めな子どもが、多いと感じています。
なぜなら、学校では、自分の心地いいを感じるより、やらなければいけないことを、優先させられてしまうから。
そして、それが評価される世界だからです。その世界にいると、我慢することに慣れてしまい、その我慢の先に、自分の目的があると勘違いしてしまうのです。

子どもが、不登校という大海原に出てしまったら

子どもが、不登校という、レールも道もない、大海原に出てしまったら、お母さんは不安に感じることと思います。怒りや、焦り、時には、孤独に感じることもあるでしょう。

でもね、そういう時は怖がらず、子どもと一緒に。大海原に出てしまえばいい。

いざ、大海原に出てみると、波の乗り方を教えてくれる人や、泳ぎ方を教えてくれる人、船の乗合など、本当に色々な形があるということにお母さん自身が気付くと思います。それは、体験してみないとわからないものなのです。

そしたら、心の底から子どもたちに、「大丈夫だよ〜」と言ってあげられるようになる。

だから、子どもより先にお母さんが幸せになってしまえばいいのです。

だって、子どもは自分で幸せになる力を持っているんだから。

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