人間は不快な感情に反応する

今日は、家にいる子どもに
少し外に出てみたらとか
学校に行ってる子とついつい
比べて嫌味を言いたくなる
自分に苦しんでいる…
なんてこと、結構あるよね!
ということについてお話ししようと
思います。
そもそも、なんで嫌味を言いたくなってしまうのでしょう?!

嫌なことを言ってしまうのは?

私たち大人は、子どもは自分が
育ってきた道を同じように
歩むと思い込んでいたと思います。

そして、大多数の子どもは親が
通ってきた同じ義務教育を経て
進学や就職を選んでいきます。

けれど、我が子はそれをしたくないという。
あれイヤ、これイヤの否定的な言葉の多いこと!!

だけど、自分が本当にしたいことなのか?
本当はしたくないことなのか?
なんてことを考えながら、その道を選んでる人は
意外と少ないように感じるのです。
みんながするから、やっておく。
親がうるさいからやってる。
結局、自力で選んでることって
少なかったりしませんか?!

では、学校に行かない子どもたちは
どうでしょうか?
自分のしたいことがハッキリしている子は
少ないかもしれません。
ですが、やりたくないことは
ハッキリしています。
集団が苦手
大きな音が苦手
じっとしているのが苦手
文字を読むのが苦手

大人でも、苦手なものありますよね。

けれど、それを否定して
必死に直そうとしたりしています。
もちろん、そのおかげで
直せる部分もあるかもしれません。
けれど、やはり「直したい!!」という
強い意志がないと、直せないと思うのですw

快、不快という感情

さて、人間の感情の分化というのが
あることを皆さんはご存知ですか?
人間、生まれた時は快か不快の
感情しかありません。
赤ちゃんが泣くのは不快を
感じているから。
赤ちゃんが微笑むのは
快を感じているから。

そして、感情の分化は実は
不快の方から早く分化していきます。

だから、人間は心地よいものよりも
心地悪いものに先に反応しやすいのです。
だから、心地悪い!を先に表現する
子どもの反応は、ごく自然なこと。

赤ちゃんがオムツ替えて〜!!
と泣いているのに、我慢しなさい!
とは、ならないですよね。
その不快を取り除いてあげると思います。

赤ちゃんの時に、何度も不快を
訴えるのに、お母さんが無視し続けると
赤ちゃんは、何も訴えなくなる
いわゆる、サイレントベビーという
問題が生じることがあります。
不快があると訴えても、
その不快を取り除いてもらえない
体験が多すぎると、訴えることを
やめてしまい、諦めてしまうのです。
求めて、受け入れてもらえないなら
いっそのこと、その不快に慣れて
しまうほうが楽だと頭が学習してしまうのです。

これは、大人になった私たちにも
言えることかもしれません。
本当は、望みがあったはずなのに
何が心地よいのか?すら
わからなくなって現状維持に
必死になってしまう…
そんなこと、ありませんか?

不快を取り除けばいい?

じゃあ、子どもが訴える不快は
赤ちゃんのように全て取り除いたらいいの?!

そんな言葉が聞こえてくるように
感じますが…気のせいでしょうか?w

それは、もちろんNOです。

でも、不快を訴えている部分を
否定して頑張れ!!の叱咤激励でも
対応が雑なんだろうな…とは思います。

不登校児で言えば
学校に行くことが不快なわけです。
そこを、頑張れ!!だけでは
うまくいかない経験をされている
親御さんや、学校関係者も多いと
思います。

人間は、不快、不便を見つけて
より快適に過ごす方法を見つけ
進化してきました。
今の便利な社会があるのは
昔の人が、不快に感じた部分を
試行錯誤して、改善に尽力を尽くした
時代があったからこそなのです。

そう、人間には不快を改善する力が
備わっているのです!!

だから、不快を訴える子どもがいたら
じゃあ、どうしたら
心地よくなるんだろう?

って声をかけてあげたらいいと思います。

結局、不快に感じている人にしか
改善点って見えないものなんです。
今のイヤな部分の何を改善したいのか?
に視点を当ててあげると
自然と、当事者から改善策が
出てくると思うのです。

不快をなかったことにして
誤魔化しながら生きるよりは
保護してもらえる子どものうちに
自分の心地いい探しに向き合える
不登校児は、ある意味ラッキーなのかも
しれないですよね!

ログイン