子どもの登校しぶりが始まると、親や、学校の先生は、勉強が遅れてしまう、友達ができなくなる、運動ができなくなるなど、「できない」ということに、フォーカスしがちです。ですが、無理やり、学校に連れて行って、勉強や運動が身に入るのか?という疑問は否めません。
できるか、できないかで判断される学校
学校では、少なからず評価があり、「できる」か「できない」かに分かれていることが多いように思います。
その中で、勉強が得意な子は、勉強ができるし、運動が得意な子は、運動ができる。そこで、良い評価を得ることができれば、子どもの自信に繋がることでしょう。しかし、学校の勉強も、運動も苦手な子にとって学校は、なかなか苦しい場所になってしまいます。
また、学校にはスクールカーストという独特の序列があることが多いのです。勉強や、運動ができない子は、スクールカーストの下の方になってしまいがち。学校に行かなくなれば、なおさら、居場所はなくなってしまうため、登校しぶりの段階で、なんとか不登校は避けた方がいいと思うのが、親の心情かもしれませんね。
しかし、そこに、子どもの気持ちを汲み取るという余裕がないことが多いのです。
正直、学校に行かなくなれば、煩わしいスクールカーストという特有の序列からは、離れられるでしょう。
何ができるかより、どんな人間か
学校で、スクールカーストを意識しているうちは、わからなことがあります。それは、その人が、どんな人間かということ。
みんな、自分の位置ばかり推し量り、他人の人間性が見えなくなってしまっています。けれど、周りからどんな風に思われるかなって、取っ払って、自分を見たとき、初めて自分という人間がどんな人間なのか、向き合うことになります。
そういう意味では、不登校は、自分を見つめ直す絶好の機会となります。
しかし、時間がたっぷりあると、人間というのは色々考えてしまいます。その中で、マイナスな考えが多いと、マイナスな気持ちがどんどん膨らみ、心を押しつぶしてしまいます。だからこそ、周りは、否定せず見守ってあげて欲しいものです。
人は、自分がされたように他人にも接する
人というのは、自分がされたように他人にもします。例えば、自分をいう人間を親から認めてもらえずに育った人は、他人もなかなか認められません。逆に、大切にされた経験がある人は、他人のことも大切にできます。
ですかた、今、不登校で止まっている人は、この時間を大切にして欲しいのです。
今、感じている焦りや、不安、小さな楽しみなど、全てが尊いもの。それを、ぜひ家族で共有してあげてください。