本屋さんに行くと、自己肯定感を上げる方法についての本が店頭にたくさん並んでいます。
日本人は、世界的に見ても、自己肯定感が低い国と言われています。
なぜなのでしょうか。本日は、自己肯定感について、考えてみたいと思います。
自己肯定感に関する本は多く出ているのに上がらない日本人
子どもの自己肯定感を上げたいと、思っている親御さんは多いと思うのですが、どんなことをしたらいいのか・・・悩みませんか?
自己肯定感に関する本は、山ほど出ているのに、日本人の自己肯定感は一向に上がらない・・・なんでなのでしょう。
これは、2020年度の調査結果なのですが、日本人は自分に満足している人が少ないようなのです。
そこには、日本の教育が関係していると言われています。日本の授業は画一的で、先生から一方的に教えてもらうスタイルが現在でもスタンダードです。コロナの影響でオンライン授業になったり、教育改革はなされていますが、従来の形を変えていくことは、容易ではありません。
自分で選択することで自己肯定感が育まれる
上記のグラフで、アメリカ合衆国は、自己を肯定的に捉えている人が多いと言えます。
日本と、何が違うのでしょうか。
それは、「選択」の積み重ねにあります。アメリカでは、制服や、給食はありません。ランチタイムは、食堂で好きなものを選べます。また、子どもの幸福度が高いと言われているデンマークでも、幼少期から、小さな選択の積み重ねをすると言います。例えば、保育園で、2歳の子どもがトイレに行くときに、歩いて行くのか、抱っこで行くのか、ハイハイで行くのか、選択肢を与えると言います。何気ない行動の中にも、選択肢があるのだと、認識しているのです。
アメリカにある、コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授は、自己選択について、20年以上に渡る実験と研究を行いました。
「選択」は、自分で自分の環境を変える能力なのだから、選択するためには、まず「自分の力で変えられる」という認識を持たなくてはならない。
コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授による『選択の科学』(シーナ・アイエンガー著/文春文庫)
自分で「選択をする」ということは、その選択がもたらす結果に責任を持つということです。他人に、選択を委ねていると、他人のせいにはできますが、良い結果が出たとしても、他人のおかげになってしまい、自分の自信には繋がらないのです。
子どもは未熟で指導を受ける存在だという思い込み
では、なぜ日本人は、自己肯定感が低いと言われているのでしょうか。それは、自分で「選択する」という体験が少ないからだと思います。
日本では、先生や、親の言うことを聞く子が「良い子」だという風潮があります。
そこの背景には、子どもは未熟で大人の指導がなければいけない存在だという潜在意識があります。大人が、お膳立てをしないと、子どもは何もできない、間違いを犯してしまう存在で、レールを準備して上げないと、いけない存在なのだという思いがあります。
中学受験をすれば、エスカレーター式に、大学まで行けるという道がありますが、これも、良し悪しですよね。
子どもにとって、友達というのは、とても大切な存在です。学校の質によって、友達の雰囲気が変わるのも事実。
親としても、どうせなら、良質な人間関係の中に、身をおいて欲しいと思いますよね。
でも、その一方で、その中学校に入ると、大学までの道のりまで大体が見えてきます。
自分の未来のために、学ぶ場を選択する機会は、なくなってしまったのです。けれど、中学で自分の行きたい道が、決まっている人なんてそうそういません。ですので、なんとなく、決められた道をいく。そして、一度レールに乗ると、よっぽどのことがない限り、そこのレールから降りることはありません。そうやって、親が敷いたレールに乗って、なんとなく生きていく…という子も少なくありません。
なんとなく生きる子どもの姿を見て「無気力だ、やる気が見られない」と嘆く親がいます。しかし、選択の機会を奪ってしまった代償が、子どもの無気力に繋がっているのかもしれませんね。
これからの時代は、自己選択が大事
子どもたけでなく、親である私たちも、選択をする機会が少なかったと思います。
今までの時代は、言われたことをしていれば、仕事が成り立ちました。しかし、時代は変わり、終身雇用が難しいと言われており、今まであった仕事が、簡単になくなる時代になりました。言われたことをするのは、AIの仕事になりつつあります。
これからの時代に必要なのは、新しい価値を生み出す力や、相手の気持ちを汲み取る力だと思います。
その力をつけるためには、自分は何が好きなのか、何がしたいのか、何が得意なのか、それを知ることです。そのためには、小さな選択を積み重ね、その選択が自分にとって、よかったのか、よくなかったのかを振り返り、自分を知っていくことではないでしょうか。